漢方センター長 稲木一元
漢方は日本の伝統医学です。漢方の漢は漢字の漢と同じニュアンスで、古代中国にはじまる東アジアの伝統文化の一部であることを示します。漢方の方とは、方法の方であり、治療の手段という意味です。漢方という用語は、江戸時代にオランダ医学が導入されて蘭方と呼ばれるようになったことに呼応して、それまでの中国起源の日本の伝統医学を漢方と呼ぶようになったとされます。ちなみに、昭和初期には、中国系伝統医学との違いを強調するために皇漢医学とよぶこともありました。近年では、和漢医薬学という用語もあります。
現在の漢方の原型は、近代以前の中国医学にあります。15世紀末に明(みん)に留学して当時最新の医学を学んで帰国した田代三喜(たしろさんき)が、日本の漢方医学の祖とされます。三喜の弟子、曲直瀬道三(まなせどうさん)は京都で多くの弟子を育成しました。結果、金元時代に原型が形成された明医学を尊重する医学学派が、江戸時代前半の日本医学の主流となりました。しかし、元禄時代に実証的・実用的な学問が発達するとともに、中国医学を妄信することに対する批判が生じました。中国医学には迷信的な内容も少なくなかったことから、親試実験(しんしじっけん)が提唱されました。すなわち、実際に臨床で用いた効果で医学書や薬が評価されました。この過程で、もっとも古い医書である『傷寒論(しょうかんろん)』『金匱要略(きんきようりゃく)』がもっとも実用的で信頼できる書として尊重されるようになりました。
明治初期、西洋医学に基づく医師国家試験で免許を取得した者のみを医師とすることが法制化されると、一時期漢方は滅亡の危機に瀕しました。しかし、昭和前期以後、実地医療に役立つという観点から漢方の研究復興を目指す医師が増え続けました。第二次大戦後の1950年には、漢方医学の研究、啓蒙発展を目指す日本東洋医学会が設立されました。1967年、4種類の漢方エキス製剤が薬価基準(健康保険で使用できる薬が記載される)にはじめて収載され、1976年以後さらに多くの漢方製剤が収載され、今日に至っています。こうして、日本の公的医療制度に漢方薬が組み込まれた訳です。
今日、漢方薬は医師の8割以上が使用しているとされます(日本漢方生薬製剤協会・漢方薬処方実態調査2011年)。それだけ、日本の医療制度の中で不可欠な位置づけをされるようになったといえます。現在、医療機関で使用される漢方薬は、医療用漢方製剤とよばれ、148種類あります。このうち約70種類は、後漢時代の2世紀末頃に張仲景が著したとされる『傷寒論(しょうかんろん)』および『金匱要略(きんきようりゃく)』という医学書に載っている処方であり、約50種類は唐から明時代の中国医書に由来する処方です。たとえば、風邪薬としてよく知られる葛根湯は『傷寒論』の処方ですから、1800年以上使用されてきたことになります。
ただし、幅広く用いられるようになったことで、古い時代には予想されていなかった副作用も報告されるようになりました。1989年に小柴胡湯による間質性肺炎で死亡例が出たことはご記憶の方もいらっしゃると思います。2014年度の厚生労働省副作用情報による医療用漢方製剤の副作用報告総数278件のうち、肺障害104件(37.4%)、肝機能異常66件(23.7%)、偽アルドステロン症36件(12.9%)、腸間膜静脈硬化症26件(9.4%)、薬疹・過敏症20件(7.2%)となっています。漢方薬の使用件数からすれば極めて少数ですが、こうした副作用情報を知ることができるようになったのも、漢方薬が日本の医療制度の中で評価されるようになったためであり、漢方薬を安全に用いるために重要なことです。
このように日本の医療制度では、西洋に起源をもつ近代医学と伝統医学である漢方とが同じ医師によって実践されています。一方で、中国では西洋医学と伝統医学(中医学)と二本立てです。韓国も西洋医学と伝統的韓国医学(韓医学)は別の医師資格です。インド医学やアラビア医学も伝統医学ですが、西洋医学と融合した状況にはないようです。近代医学を中心とする医療の中で漢方薬を用いることがごく普通のこととなっている日本の状況は、世界的には希有です。
漢方薬が広く使用されるようになったことで、漢方薬の有効性を積極的に研究する医師も多くなりました。現代医学の科学的な観点から漢方薬の効果を検証する研究も増加しています。臨床の面でも、どのような病気に漢方薬が効果的か、あるいは漢方薬とそれ以外の治療との使い分けについても多くの知見が集積されつつあります。
筆者も、漢方薬に関するこうした多くの新しい情報を学びつつ、現代医学と伝統医学のよさを生かした診療をと願っています。これからも、よろしくお願いいたします。